今年最後の日記


恒例の暮れの築地の仕事(四日間だったけれど)を終えた。これから数日だけど休めそうだ。朝5時半くらいから栗きんとんを売りつつ、書店からのポストカード追加注文への対応をこなし、市場近くのカフェで自分が書いた記事が載っている雑誌を読んで休憩し、夜はデザイナーの工藤強勝さんや右文書院の青柳さんらと書籍カバーに関する打ち合わせをし、その後、青柳さんと酒を呑むという、自分が考える理想的な労働スタイルの日々を過ごすことができたことがうれしい。


おせち料理を購買する人々の中核にいるのは老人たちだ。その人たちの購買力が落ちていることが確実に感じられた。この仕事をする前日、ある件で、建築計画の研究者の方から、高齢者専用賃貸住宅(これからの日本の重要な意味をもつスペースとなるはず)について、話を聞いた時、小泉純一郎政権が行った「改革」のボディブローが、今になって猛烈に効きだしていることが実感できた。高齢者を含む生産性を上げない人々は、住宅問題を筆頭に、より厳しい生活環境へと向かわせられるであろう。その生活を乗り切っていくには、不断の情報収集を含む「より一層の競争」が用意されているのだけど、自分を含む多くの人はその「競争」がどんなものかさえよくわからない。だから、とにかく生活費を切り詰めるという方法で「防衛」する。500g買っていた食べ物を350gにする。打たれた腹が、強烈に痛みだしたとしかいいようのないありさまだった。
東京の築地でこうなのだから、あの「改革」が切り捨てた地方、その高齢者たちのことを考えると……。


誰も評価することのできない、そのシステムはわけがわからないが、しかし日々何かを生産し続けている労働スタイルの方向へと向かっていくつもりだ。「より一層の競争」へはぜったい行かない。
この築地でもわけのわからない労働を行っている老人たちを何人も見た。
買ったたくさんの野菜を段ボールに詰め込み、それを背負って歩いていた老婆。ロープで箱をしばり背中にしょっているのだが、そのロープの張力の使い方は初めて見るものだった。人間が物を運ぶスタイルの豊穣な ヴァリエーション! この日本の山間のどこかの郷ではこのように物を運んでいた人がいたのであろうか。
また推定身長140センチ代・推定70代の女性は、可愛らしいコートにリュックサックをしょい、右手にこれも今までみたこともない装幀の学術書らしきものをもって、店頭のおにしめのパック入りを見ては「これは便利ね〜」と繰り返し感動していた。その小さな存在からは、もうこの世界にいる時間はわずかであり、私には料理をする時間が惜しいという、ひしひしとした気持が伝わってきたのであった。あの御本には何が書かれていたのでしょうか。文字を見ても私などには皆目わからず、開いたそこにはロバチェフスキーの肖像か、あるいは単片双曲線の宇宙模型が描かれていたのを見れたかもしれませぬなどと考え、店の正面に立てば、築地本願寺(写真参照)。
2007年はこうして終わり、あと少しで2008年がやって来る。

「小説に出ている」と松山巌さんがいった

少し前、文筆家の松山巌さんとお会いして、喫茶店で話をしていたら「自分が出ている小説がある」という。私は「おおーっ」と思った。


たまたま久世光彦さんの話になり、いくつかのエピソードを松山さんが語られ、そのうちに「自分が出ている小説」という話になったのだ。
「小説に出演する」という話は、実は、私、とても興味のある話なのです。何故なのかは後で語るとして、松山さんが「出演している」その小説を紹介しよう。
久世光彦さんが書いた『あべこべ』(文藝春秋)。久世さんを思わせる「私」の奇妙な仲間との交流の日々を、不思議な現象を入れ込みながらも、全体としては淡々と書かれた小説である。「出演していた」のは松山さんだけではなかった。奇妙な霊感をもった女優「弥勒さん」は樹木希林さん、女から食べ物まで、すべてに点数をつけて評価する批評家「穴さん」は福田和也さん、小さい頃からそれまでの切った爪をすべて缶に入れてとっている映画監督「持統院」は実相寺昭雄さん、そして松山さんは、愛宕に住んでいる骨董屋「二股さん」として「出演していた」。


オール讀物」に隔月で連載されていた連作短編ということもあり、暇つぶしに読むのに合っているというか、全対にはさらりと出来ている読み物だ。テレビ番組だったら、それこそ久世さんが演出家として作ってきた、ちょっと不思議な連続ドラマという感じのものだ。西城秀樹郷ひろみが出演しているように、福田和也さんや松山巌さんが出ているという、こう書いて初めてやはりこれは奇妙な小説かなとも思うものだ。


さてここで、私が「小説に出演する」ということに興味をもっている理由を語ろう。このblogを時々目を通していただいている方なら、ははあ、またあれかと思うだろう。そうなのです。保坂和志さんの小説『季節の記憶』を読んでいると、自分の昔の友人が出ていたという話である。小説では友人の名前はまったく変えられているというのに、友人Tの思考の形式が彼の話し方とともに、突如、読んでいる本の中で出現して面食らったという経験だ。
さらに、その読書体験から数年後、銀座の路上で20数年ぶりにばったりその友人Tに会った時、思わず「君、小説に出てたでしょ」と私はいってしまったのだった。するとTは「テレビに出たでしょ、という言葉はあるが、『小説に出てたでしょ』というのは変だよね」といって返してきたのだった。
その時の出会いが面白くて、どうやらTは保坂さんに話をしたらしい。すると、その「小説に出てたでしょ」話を保坂さんも面白いと思ったらしく、『小説の誕生』(新潮社)という評論のような小説のような本に、そのエピソードを書いたのだ。
それがまた私にとっては不思議な文章だった。その時のエピソードが保坂さんの筆によって描写されているのだが、その中の私である「渡辺」は、自分があの銀座では多分語っていないことをいっている。しかし、読んでいると、自分だったらぜったい語るであろう言葉としてそれはあるのだ。さらにその「渡辺」の言葉は、『季節の記憶』には展開されていないが、それを保坂さんが執筆することによって得られたある考えをいっていると保坂さんは書くのだ。つまり、私が現実にはいわなかったこと、保坂さんが現実には書かなかったことが、両者が納得がいく形で、テクストとして書かれてしまったのである。
こうした経験を踏まえて保坂和志さんの小説のことを考えると、どうも保坂さんは、ある人間との会話で聞いた言葉を受け入れた後、その人間の思考の展開の仕方を使って別のことを話させて小説を作っているようだ。
Aという人間がしゃべったことをそのまま書き写すのではなく、Aがしゃべった思考のシステムをとりだして、そのシステムに自分が気になっていることや、小説の展開上書いておくべきことを入れ込み、そのシステムの機能にまかせて小説の主人公Bの会話としているのだと思う。
だから友人Tが語っていない話なのに、Tだと思い、私が語っていないのに、私がいうだろうと思えたのだと、今は理解している。
これは小説家であれば、あたりまえの方法なのだろうか? 保坂和志という特異な小説家の独自の方法なのだろうか。
それを知りたくて、何かよい機会がないかと待っていたのだ。だから、松山さんが「小説に出ている」といった時、私は思わず「おおーっ」といってしまったのだった。


さっそく私は、小説『あべこべ』を手に入れ読んでみた。
……しかしだ、『季節の記憶』の蛯乃木をTだと思ったようには、『あべこべ』の二股さんを松山巌と感じることはできなかったのである。
私はTとは数年間だけどかなり親密につきあった経験があるが、松山さんとは二度ほど酒を飲み、喫茶店で二度話をし、一度向島から浅草を一緒に歩いたことがあるくらいだ。その差であろうか。
確かに、普段の松山さんの仕草や、語り口、癖、食べ方、飲み方などをそれほど知っているわけではない。しかし、実際の松山さんの雰囲気はある程度掴んでいると思う。また、松山さんがこの出版業界の中で、あるいは本好きの読者たちの中で、どのような文筆家としてイメージされているのかも、ある程度は理解していると思う。それなのに保坂さんの小説を読んで「Tが小説に出ている!」と感じたように「これは松山さんだ」とは思えなかった。


「Tが小説に出ている!」と思ったのは、T独自の思考の展開がそこに言葉としてしっかり書かれていたからだ。しかし『あべこべ』では松山さんの考えが出てはいない。久世さんは、その人の思考のシステムとかには興味がなさそうだ。
私が『あべこべ』を読みながら、思っていたことは武智歌舞伎のことだった。武智鉄二さんが作り上げた歌舞伎は、演出家という近代演劇の役割をその世界に導入しある種実験的な舞台を作っていたというが、同時に、自分が自分の好きな歌舞伎を見るためだけに作った私的演劇であったということを前にどこかで読んだことがある。殿様が自分一人で楽しみために、自分の好きな役者を集め、自分の美学によって演じさせたような歌舞伎。
久世光彦さんのこの小説も、このような歌舞伎なのだと、読みながら私は思った。
久世さんは、樹木希林福田和也実相寺昭雄、そして松山巌がほんとうに好きだった時期があったのだろう。その人たちを舞台にあげて、自分の美学に沿って動かして、目を細めている、そんな久世さんの姿が見えてくる。
(この小説に出てくるそれぞれの人物の「らしさ」のわからなさは、私たち読者がお殿様の背中からその芝居を覗き見ている従者として配置されているからだろう)
老境の手慰み、才能がない者にはなかなかできない遊びだなと、読後ため息をもらした。


ということで、保坂和志さんが小説でしていることとは、それはまったく違ったことであった。
だから私が知っている人が「小説に出ている」ことで、そのことを通して私が見てみたいことは、そこにはなかった。また、違う機会を待つことにしよう。


蛇足で付け加えれば、この小説に登場する俳優や批評家を久世さんが好きな理由はなんとなくわかる。
理解の一例を私の言葉でいえばこうなる。
福田和也さんという物書き。実は、私は福田さんのことを尊敬している。一人の女の人を安心させたことがあるからだ。『en-taxi』という雑誌で、柳美里さんと一緒にどこかへ訪問する記事があった。当時柳さんはかなり落ち込んでいた時期だったと思うが、そこで柳さんが書いている原稿を読んでいると、柳さんが福田さんによって、少しだけ安心した心境になっている感触の言葉をみつけた。
私は自分が何気なくしてしまった行為や何となく話したことで、女の人を傷つけてしまうタイプの男なので、そういうことができる男を尊敬する。私はけっこう酷いことをしてしまう奴なので、だからこそ「女の安心」にすごく敏感で、微細なところにも反応する。女の人を安心させた男を見ると、過剰に尊敬してしまうところがあるのだ。それ故に、ミック・ジャガーに捨てられボロボロになったマリアンヌ・フェイスフルを救ったバリー・レイノルズを、ロック界の中のベスト・オブ・ザ・ベスト・ギタリストだと思っていたりする! そして、柳さんに旅取材の企画で、それが短い時間であったとしても心の平安をもたらした福田さんを、柳さんのテクストの中に微かだけど感じて、私は「偉い奴だな〜福田は〜」と思ったのだった。それ以来、私は福田和也さんの原稿を読み継いで……いや、2,3本しか読んでいない……。しかし、柳さんという相当難しそうな女性を安心させるという偉業を成し遂げた男なのだから、よい原稿を書く人なのだと私は信じている。
人間通ではない私がいえることは、こんなことかな。




(写真は、能登半島珠洲市の寺家にある舟小屋。今出ている『ミュージックマガジン』1月号で、こうした小屋について書いたコラムを載せています。立ち読みでもしてみて下さい。今年のロックベスト10とかわかって、雑誌自体もなかなかいいですよ)

11月から12月へ。言葉と作業

仕事で昔の「平凡パンチ」や「POCKETパンチOh!」を読んでいる。
小中陽太郎の対談シリーズなど。そしてストリップショーに出演していた東てる美へのインタビュー。
「Q■すると、そのときは恥ずかしさが圧倒的だったわけだ。脱ぐこと即ち身も心も見られたって感じだろうか?
てる美■母の店で、お客が食べているのを見たときの感じだった。
Q ■それはどういうのだろう?
てる美■つまり、わたしは母の作った料理を、20年間、食べてきた。その同じものに、おカネを払って、みんなが食べてるのね。これはとても奇妙に恥ずかしいんですよ」


こうした昔の雑誌の記事読みをしつつ、もうひとつ探しだしたいと思っている文章がある。
多分、1970年代の週刊誌、詩人の足立巻一が書いた書評だったと思う。
沖縄戦集団自決の教科書記述問題のニュースに触れる度に「あれを探さなければ」と思いたち、最近何度も資料を探したが出てこない。
戦時中に教師をしていた人についての本だ。
自分の教え子たちに、その教師はある言葉を教える。
米軍に取り囲まれた時に発する言葉。その言葉について足立さんは書いていた。
それは日本語の音だと、子供達を何かしら元気にする言葉で、同時にその音は、米軍兵士にすれば無闇に銃を撃たなくてもいいことがすぐにわかる意味に聞こえる。
危なくなったらその言葉を発して出ていくんだと教える。
その言葉はしっかり書かれていて、読んだ時、とても関心したのだけど、その言葉が思い出せない。古い週刊誌を何度も探したが出てこない。
一つの命を救い出す二つの国にまたがった二つの意味をもつ一つの言葉。
沖縄戦集団自決の教科書記述問題は、探せないその言葉へと重みを増していく。
散歩に出る。犬が鳴いてます。「ワンワン」と「バウワウ」の間で走り抜ける犬の発する音だ。


ミュージックマガジン』のコラム用に原稿を書いている。記事掲載号が出るのは12月の終わりの方。
そうだ。暮れの数日、また築地で働くんだ。
あの朝4時からやっているコーヒー屋で、仕事をする前、自分の文章が載っている『ミュージックマガジン』を読むんだ。
ものすごく楽しそう。原稿書こう。


相変わらず阪田寛夫を読んでいる。
詩人まど・みちをについて書いた『まどさん』(筑摩文庫)。まどさんの少年時代の思い出。
「薬やかどこかの店先に立って、私はひとつの壼に見入っていた。壼のレッテルに。鐘馗さまみたいな鬚もじゃもじゃがいて、その壼を掲げている図が描いてあったのだ。よく見ると、その鬚もじゃもじゃが掲げた壼の中にも、柿の種ほどの鬚もじゃもじゃがいて、林檎の種ほどの壼を掲げているのだった。私はレッテルへ目をすりつけた。さうするとこの林檎の種ほどの壼の中にも、米粒ほどの鬚もじゃもじゃがいて、針の孔ほどの壼を掲げているにちがいないと」
というまどさんの散文詩が引用されている。
この小説の面白さは、地味な人生の限りある物語に、この壼のエピソードのような、無限パターンの話が虹を架けるように出現するところだ。


ヤン・シュヴァンクマイエルのポストカードの改訂版シリーズが出来たんだな。
今日、袋詰め作業なんてしてしまった。上の部屋で原稿書いて、下の部屋で手工業。
俺、袋詰めとか大好き。このカードについては、違ったメディアで近日中にしっかり情報を出します。


山口二郎の次の言葉を、11月の後半、何度も読み返した。大切な小さなテクスト。
「---------結局、小沢さんの失敗の根本はどこに?
山口 政党政治の基本がわかっていないと総括せざるを得ない。政党は「パーティー」であり、国民のある部分(パート)を代表する。部分をぶつかり合わせる中から、公共的な政治空間をつくる。部分から全体につなぐのが政党の仕事だ。部分を放棄した全体はあり得ない。今回の連立騒ぎは、国難とか国家の危機という全体のシンボルをふりかざして、それぞれの党の自己主張を抑えて一緒にやろうという、偽りの空虚な全体に民主党を吸収する策略だった。民主党参院選では小泉構造改革で無視され捨てられた部分を的確に集め、その主張を政治空間につなぐことで勝った。それを怠って全体に吸い寄せられてしまった」(朝日新聞11月11日)


オーディオ装置のCD部分が機能せず、最近はコンピュータで音楽を聞いている。
BUIKA、ドゥルッティコラム、あがた森魚ベン・フォールズアート・リンゼイなど。
そしてこのアートの「Noon Chill」の音がコンピュータで聞くと不思議。今までのシステムからは聞こえない音が流れてくる。
G4と相性がいいのか。いや、こいつは実は素晴らしい機械なのかもしれないと見直す。雑巾で拭う。袋入れ作業、再開だ。

火曜日から金曜日までの思い出


火曜日夜、写真家の中里和人さんと会う。話をしたいことがあった。映画『十六歳の戦争」(松本俊夫監督)のDVD貸してくれる。下田逸郎主演。昨年、中里さんたちと車で新潟や能登、丹後をまわった時、車で下田逸郎の唄をずっとかけていたんだ。


水曜日昼、東京文化財ウィークの公開事業によるお茶の水ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)見学会に参加(この日のことは、J.K's Bluesという、私にとってとても素晴らしいコンサートや、催しものの情報が書かれているブログで知ったのだ。ありがとうございます。
http://blog.livedoor.jp/jangada25/)。
ドームというとても立体的に宇宙を示す上部空間の下に、非常に平面的な描き方が特徴のイコンが何十枚も置かれている。そのイコンのほとんどは外界からの光ではなく、画像の前に置かれたローソクの光で照らされている。正面にはイコノスタス(聖障)という一種の書き割りがあり、何かのために空間を割っている。その聖なる場所の装置を見ているうちに、前に仕事で行ったイスタンブールで見たモスクの内部空間を思い出す。ビザンチン正教会の空間や装置を、イスラムの人々がどのように転用したのか少しだけだが理解した。素晴らしい空間を開いてくださった教会関係者の方々に感謝したい。写真は教会で発行しているパンフレット「東京復活大聖堂のイコン」の付録「東京復活大聖堂見取図」と教会内部の写真の絵葉書。
この見取図、天空から見た室内空間。イコンには番号がふられており、パンフレットを見れば、そのイコンが何を描いているかがわかる。何度も見ています。


木曜日は、十条にある東京家政大学博物館で開かれている「影と色彩の魅惑 ワヤン」展を見に行った。ジャワの影絵芝居の人形を中心に、インドネシアの芝居の人形がたくさん集められている。西洋の絵画では見ることができない、肉体のデフォルメの仕方。漫画の源流に触れている感じもする。
ここで知ったのだが、インドネシアの影絵芝居は、スクリーンに映し出された影絵を楽しむだけでなく、観客はその裏側からも見ているのだ。そのため影絵芝居の人形は、とても美しい色がついている。
観客は自由に歩いて影絵も見るし、色彩のついた人形芝居も見るのだ。ふ〜ん。
(もともとは人形芝居で、15世紀あたりから影絵芝居になったという説もあるとのこと)
この二重構造、興味深い。おいしいものを食べるとうれしくなるように、多様な上演の仕方に触れる度に幸福になる。
この人形は松本亮さんという方のコレクション。松本氏は雑誌『太陽』の元編集者とか。松本さんが書くテクストには、昭和20年代後半、ジャワの人形を松本さんに渡す詩人・金子光晴が登場したりする。
読んでいると、戦後すぐの東京の街を、風呂敷に包んだ影絵芝居の人形をもって歩く姿のイメージが広がる。流れている音楽は下田逸郎で。(と、書いたが、人形は金子光晴の家で渡したのが事実らしい。<数時間後テクスト一部訂正>ということで、このイメージは私の頭の中の一人歩きとなりました、トボトボ)
(展覧会は15日まで)


金曜日昼。青山ブックセンター本店で細馬宏通コーナーがアルバム「主観」発売を記念して作られたと聞いたので、行ってみた。時間があまりなかったので、どこにあるかと店員の方に聞く。なかなかわからず、結局は自分で探し出す。多分、唄に感動した書店員一名が発作的に作った棚なんだ。見るとそこは、近場で寄せ集めたような本、雑誌、CD……まさにブリコラージュ的ありさま。すべてがプロモーションのプランで作られている世の中で、このような「器用仕事」の様子見れることに、にんまり。かえる目の「主観」購入。
金曜日夜、仕事を終え家に戻り聴く。それから、今、深夜だけど何度も聞いた。
このアルバムの曲を、丹後から京都への帰り、琵琶湖沿いの道を、車で走りながら聞いている様子を想像する。昨年の舟小屋の取材の時の記憶を、ちょっと泣ける感じに改変してみる。労働者が仕事の思い出をユーミンの仕方で編集してみること。頭の中に夜の道路の風景を浮かび上がらせ、走る自動車を天空から見ようとする。

お勧めしたいもの


中年男の体にユーミンが憑依する。そのコンセプトで唄い出したという噂の、細馬宏通氏(『浅草十二階塔の眺めと〈近代〉のまなざし』を青土社から出したあの方)。彼のバンド、「かえる目」がアルバム「主観」(compare notes(map))を発表した。まだ、このアルバム手に入れていないのだけど、細馬氏の唄は聞いたことがある。けっこう衝撃的であった。ニューミュージック30数年の栄枯を視聴体験した果ての中年男の体にユーミンが降りてくる。なんかしみじみとわかる怪奇現象である。アルバム発売を記念して、今日本中の中年男にぽつぽつとこの憑依が同時多発的に起きているという。私も、先日新橋駅前の三州屋二階座敷で「あのD51に帰りたい」という歌を完全ユーミン音階で突如唄いだしたサラリーマンを見かけた。一緒に飲んでいた松山巌氏も右文書院の青柳氏も見たと思うが、どうだろう。アルバム早く手に入れたい。


夜の新宿をデザイナーの大久保氏と歩いていたら、酒場から森山大道さんが何人かの連れと出てきた。その中には外国人もいて、「彼はきっと優れたカメラマンであろう」と大久保氏がいった。それからしばらくして、本屋でファッション誌の「Huge」(講談社)の今月号を見ていたら、写真家アンデルス・ペーターセンの写真作品が載っていた。1960年代のハンブルグ。盛り場にいるどろどろに酔っぱらった男と女。そのダンス、喧嘩などを撮影した写真だ。トム・ウエイツの「RAIN DOGS」にも使われた写真を撮影したペーターセン。彼の顔写真も載っていて、見ると夜の新宿のあの人だった。「Huge」見るべし。


写真評論家の飯沢耕太郎氏が作るコラージュ作品に魅せられてしまった。10月に2つの個展があったのだが両方とも行ってしまった。見るたびに好きになる。芸術的感動というよりは、素敵なステーショナリーを見たりいじったりしている時の感動があり。コラージュが本来持っている運動感覚、ハサミや糊を取るために机の上で動かす手の運動の楽しさが飯沢氏のコラージュ作品にはあるのだろう。そして単純にきれいだ。痛感したのは、コラージュは実物を見るべきものだということ。切断面の質感、AとBが重なることによってできる厚みの魅力が印刷物では出せない。


最近読んでいる作家は阪田寛夫氏。名曲「さっちゃん」の作詞家であり、独自のキリスト教私小説を書く人である。どこがいいかというと、独自の自虐性。岩波の「図書」10月号で作家の岩阪恵子氏が阪田氏の遺稿のひとつを紹介している。
「オジサン(愛称)寒くないの、小便に起きてきた妻が声をかけた/ストーブこっちへ持ってくる? と言ってくれた/十月だけど−−−−/『寒かったら、このジンベさん着たら? 軽くてあったかいよ』/『ありがとう、おれの頭を叩いてくれるか』」
酷い鬱の頃のことだろうか。このあたりを経験した人はよくわかるだろう、妻の優しさが身に染みるこそ、自分が情けなく、自分を全否定して欲しいと突如いってしまう男の気持。しかし、この唐突や全否定ってちょっとはずすと笑えるのです。(その境地まで行くにはほんとに大変なんだけど、みんな、そこまで行きたいね)難しいけど、阪田氏の芸風はそれを行なえる。阪田氏の小説は、はずしをもっと突き進ませる。謙遜するとしすぎて、ほとんど自虐ギャグともいうべきところまで到達する。それがこの国のキリスト者という微妙な立ち位置と相まって独自の私小説世界をつくる。「自虐の詩」であり「さっちゃん」であり「聖書」である。希有な読書体験を経験できる作家。もっと多くの方に読んでいただきたい。


関西方面への仕事があり、情報集めのため恵文社一乗寺店のサイトを見ていた。
http://www.keibunsha-books.com/
期間限定のスペシャルコーナーがいくつかあり、その中に「住まいの本 小屋からコルビジュまで」コーナーがあって、わが『海の家スタディーズ』もラインナップされている。うれしいな〜、一乗寺のあの本屋だもんね。そういえば、最近久しぶりに建築学会図書館に通っている私です。


神楽坂に行けば寄るCD屋は「大洋レコード」。スペイン、中南米あたりの音楽が集まっている。マジョリカ島出身歌手のBuikaのアルバムを購入。一枚目の一曲目のタイトルは「New aflo spanish generation」。まさにその流れの音楽。ジャズとフラメンコとソウルミュージックブレンドされている。この音楽を聞きながらしたいなと思っている、ある中南米産の手芸があるんだ。このことについては、何かの機会に話そう。
(写真はちょうど1年前に行った能登半島七尾市奥原の舟小屋)

映画「パンズ・ラビリンス」と地下世界の言葉


先日、川崎チネチッタで映画「パンズ・ラビリンス」(ギレルモ・デル・トロ監督)を見た。夏からずっと見たいと思ってきた映画であった。予告編を見た時に、これは映画の構造として好きになれるなと直感したからだ。私のフィルム・ベストワンは、ジュリアン・ジュヴィヴィエ監督の「わが青春のマリアンヌ」であり、これは主人公の少年が恋する当の女性が、幽閉されている悲劇のヒロインなのか、ただの狂った女性なのかわからないまま映画を終わらせ、そのことによって映画の細部をことごとく両義的なものに宙づりにし、少年時代の私を奥深い相対主義に導いた作品である。
パンズ・ラビリンス」の予告編を見た時に思ったのは、スペイン内戦の中で翻弄される少女が、牧神パンと出会い地底の王国へと行くというストーリーは、映画の細部を両義的なものに宙づりにする設定としては最良の条件ではないか。これは私向きの映画なのではないか、見てみたいと思っていたのだ。
また私がポップカルチャーの優れた伝道師として敬愛している川勝正幸氏が映画の宣伝用パンフレットを編集しており、このメキシコ人監督が、現在のポップ情況の勘所として押さえておくべき人物なのだなと知ったからである。

「9・11」と地下のライオン男

さらに、戦争と地下王国の幻想というのも気になるテーマであった。というのは、私にとって「9・11」というのは「都市戦争と地下世界の沈黙」としてあったからだ。「9・11」の事態に関しては、イスラム原理主義、テロリスム、アメリカ帝国主義の問題など様々なテーマがそこから語られており、それらがすべて切実な問題であることはわかっているが、そして多くのテクストを読んだが、私にとっては切実なものは何ひとつなく、読めば読むほどに、あのニューヨークの地下世界のことばかりが気になるのであった。
ニューヨークの地下世界とは何か?
まあ、たいした話ではないので、バカおじさんのバカ話として聞いていただきたいのだが、私は90年代中期、ある深夜番組をよく見ていた。その頃、東京の吉祥寺に仕事場をもっていて、上石神井の家に戻るのはけっこう遅くになることが多かった。深夜何気なくテレビのスイッチを入れると、いつも見てしまうアメリカ製のテレビドラマがあった(自分ではぜんぜん意識していなかったが、たぶん、帰宅が遅くなる曜日が決まっていたのだろう)。


どんなドラマかというと、アメリカの現代都市の地下に世界があり、そこにはライオンの顔をもった人間たちが住んでいるというものである(アニメのドラマではありません。これは俳優たちが演じるドラマ)。その中のライオン男の一人には、地上に住む恋人がおり、時々、地上に現れては彼女の住む家に赴くのである。ここからが問題なのだが、彼女の職業は弁護士であり、その住まいの雰囲気がヤッピーのそれであり、アメリカの生活情報をそれほど知らない日本人の自分としては、それがどうもニューヨークのエリートの暮らしとしてしか見えないのである。さらに問題なのだが、このライオン頭のライオン男が、非常に暗いのだ。とても紳士的な語り口で彼女に話すのだが、どこか沈み込んだライオン男なのである。
この連続ドラマでは、毎回何らかのストーリーが展開されるのだが、何回見ていてもストーリーがよくわからない。いつも、紳士的な暗いライオン男と、ニューヨークヤッピーの女性弁護士は、都市の夜景が見える高層マンションのベランダに佇んでは、何かの問題について語り合っているのである。実は、このテレビドラマ、私は最初から見たことがなく、いつも途中から見ていたのでストーリーがわからなかったともいえるのだが、しかし、それだけではない。ドラマ全体のあり方として、大切なのは、この二人が語り合うことがであり、ストーリーはそれほど重視されていない雰囲気の作りなのである。


そして、会話の内容なのだが、曖昧になった記憶を辿れば、愛や正義のようなものについて語っていたような気がする。どうしてそんな話になっているのかというと、それは多分彼女の仕事の表舞台である裁判というものが前提にあるからだろう。これも推測だが、私がいつも見れない前半部は、裁判劇だったのではあるまいか。その裁判が終わってから、地下のライオン男が登場して、二人は愛や正義について語りあうのではないだろうか。こうした愛や正義について語る二人の会話の光景に都市の夜景、多分ニューヨークの夜景が挿入され、はたまた地下王国で何やら忙しそうに働いているライオン人間たちの姿も映し出されるのだ。
こうして書いていると、素晴らしいドラマのように思えてしまうかもしれないが、見ている感触はそうではない。なんだか全体としては暗く退屈なのだ。しかし、そのしんみりとした感じや退屈を何度も経験しているうちに、この知的で暗いライオン男のリアリティが増してきて、彼らが住むニューヨークの地下世界の存在も肌に直に感じられてくるのである。


さて、自分のことだが、そのテレビ番組を見ていた時期の数年後、私は、上石神井の家を引き払って、三浦半島の海辺の町・秋谷に住むことになった。離れた所への引っ越しというものは、その前後にいろいろと大変なことも起こるもので、実際私自身もさまざまなことを経験した。そういうこともあり、すっかりそのテレビ番組のことなどを忘れてしまっていたあの日、2001年9月11日、私はたまたま見ていたテレビで同時多発テロの映像を見てしまったのである。しかし、すぐには、あのライオン男のことなど思い出さなかった。東京大空襲のことを大人たちに聞かされていた世代なので、はっきりいって都市戦争はそれほどショッキングなことではなかったけれども、やはり人並みに揺さぶられて、何をどう語っていいかしばらくわからなかった。
しかし、すぐに語れる人という者はいるもので、9・11について雄弁に語りだした人も多くいた。また、たくさんのテクストが書き出された。しかし、どの人の話を聞いても、どんなテクストを読んでもぴんとくるものはなく、私はぼんやりしていた。しばらくぼんやりとしてから、ある日、あのライオン男の地下王国のことを思い出したのであった。多分、ブッシュが彼にとっての正義を語る映像を見たのがきっかけではないだろうか。
正義を紳士的に暗く語るライオン男のことを忘れていたことに気づいたわけである。そして私は思った。
あの惨事を、女性弁護士が住んでいた高層マンションのベランダから、ライオン男と彼女は見たのだろうか? その時、知的な彼女は何をどう語ったのか? あの暗いが正義を語るライオン男はどんな話をしたのか?
次から次へと問いかけの言葉が浮かび上がってきたが、勿論、答はなかった。
アメリカ社会をリードしていく知的階層の言葉に対応できる、何らかの知識構造の暗喩である地下世界の言葉。その言葉を、あの日から今まで、私は聞いたことがない。


ということもあり、私にとって「9・11」というのは「都市戦争と地下世界の沈黙」のことを意味することになる。
そして「パンズ・ラビンス」の予告編を見た時、何?スペイン戦争と地下王国の幻想? おお〜!と思ったわけなのだ。
スペイン戦争は、社会主義の時代ともいえる20世紀前半を真摯に生きようとした知識人の言葉や行動の試金石ともいえる事件であり、20世紀後半の社会変革を望む人間たちの理想や行動に混迷をもたらした複雑な背景をもった戦争だ。
「見たい」と思ったのだった。


そして先週のある夜、私は川崎チネチッタに「パンズ・ラビンス」を見に行った。有楽町や恵比寿の映画館では嫌だった。過酷な地域にあるロマンチックな場所でこそ、こうした映画は見るべきであろう。京浜安保共闘のポスターの文字を京浜工業地帯で見るとはどういうことなのか、ということをよく知っている私には、今ではすっかり様変わりした川崎駅前だが過去の風景の記憶はしっかり頭に残っているし、だからこそ現在のチネチッタという遊技場のロマンチックな感じがとりわけせつないのだ。はちみつぱいの唄など口ずさみながら、私はナイトショーに出かけた。


実際の映画はどのようなものだったのか? それは私が予告編で予想したものとは少々違っていた。相対主義や両義性とはまったく違った世界のものであり、20世紀のある時代の記憶を満載した非常に過酷な映画であったのだ。
さて、これ以降は、映画のストーリーを語っていきますので、これから映画を見ようと思う方は、ここまでにしましょうね。


子供の領分がないということ

話を続けます。映画はこのように始まる。
1944年のスペイン。フランコ側の軍隊とゲリラが熾烈な闘いを繰り広げている山岳地帯におとぎ話の世界に魅せられた少女オフェリアが母親とともにやってくる。
仕立て屋だった父が亡くなった後、母親が再婚した相手はフランコ軍の将軍で、その山岳地帯に駐屯していた部隊のリーダーだったからである。母親は妊娠しており、男の子の誕生に執着している将軍が母親を呼び寄せたのだ。
実父の死、母親の妊娠、新しい父親は男子誕生へと執着しているという情況の中で、少女の孤立が冒頭から示される。
少女を見つめてくれるのは、将軍の小間使いを務める陰りをもった表情の女性、そして旅の途中で見つけたケルト的な石塚から現れたイナゴのような形をした大きな昆虫だけだ。


大きな昆虫は、少女がもっているおとぎ話の書物の挿絵を参照して、妖精の姿と変身する。妖精は少女が住むことになった家の庭にあるラビリンス(迷宮)の奥へと案内する。そこにはヤギと人間が合体したような体をもつ牧神パンが待っていた。そして、実はオフェリアは地下王国のプリンセスの生まれ変わりであり、3つの試練に耐えられるなら、本当の父や母が待っている地下王国に戻ることができると語るのだ。少女オフェリアは決心する、3つの試練に立ち向かうことを。


ここから3つの試練をめぐるドラマが始まるのだが、少女はどっぷりとファンタジーの中に入ることはできない。子供の領分が保障されないことがこの映画の特徴なのである。フランコ軍とゲリラ戦の闘いが、少女の生活を脅かす。小間使いの女性が実はゲリラの一員であり、その行動を偶然に見てしまったり、将軍と母親の関係は良好なものではなく、また母の体調はすぐれず、少女はそれを心配しなければならないなど、大人の現実は少女の幻想を複雑な形で脅かすのだ。夢見がちな少女は、孤立しているが故に夢の翼を大きく広げるのだが、それを使って幻想の世界を飛び出すことを、大人の世界の錯綜した闘争が許さない。


それでも少女は、大人たちの時間に対して垂直に潜り込むようにして、巨大な樹木の中に入り込み、どろんこの中に住む巨大なカエルから黄金の鍵を手にしたりする。こういった「試練」の場面ではグロテスクで少し滑稽な感触の世界が展開する。私はチェコの作家の作品などに関する仕事にそれなりに関わっている割には、彼の国の文化の特徴でもあるグロテスクということがどうもよくわからないところがあったが、このメキシコ人の監督の映画で、グロテスクの魅力がなんとなく理解できたような気がする。この映画の中のグロテスクとは、どろんこの中の入っていく少女と虫たちの遭遇のように、人間の身体と虫や動物、植物が一体化するために、体を変形していくような事柄であり、他生物と自己との融合・一体化が目指されている。それに対して大人たちが戦争で行なっていることは、人間が人間を徹底的な他者として区別する行為であり、その究極的な行為としての肉体破壊=拷問や処刑が目を覆いたくなるような残虐な行為として表現されている。このグロテスクと残虐が峻別されていることによって、私はグロテスクの魅力がなんとなくわかったのだった。


だが、興味深いのは、映画では、子供の幻想の領域にあるグロテスクと、大人の領分にある残酷が、物語の進展とともに、それぞれが反対のあり方に変質してしまうことだ。この映画の優れたところは、グロテスクと残酷の様態を一カ所に留まらせず生成変化させているところであり、物語は途中からその変質の運動に牽引されていく。
たとえばラスト近く、将軍は、拷問しようとする小間使いの女性に、反対にナイフで口から頬を切られ、傷口がまさに口を大きく開ける、それを自分で針と糸で縫ったりするのだが、残酷というより、どこかおとぎ話のように少々の滑稽感を含むグロテスクな感触なのだ。その変化とともに、グロテスクの領域にあった牧神パンもそのあり方を変化させる。子供の世界に属していたと思っていた存在が、突然他者となっていく。そのことによってラストの悲劇が生まれる。


子供の領分が保障されないことが、「パンズ・ラビリンス」の特徴だと先に書いたが、そのことについて触れておこう。
たとえば、題名にもなっている庭の中のラビリンスは、とても印象的な演出なのだが、迷宮の機能を果たさない。ストーリーを展開するだけではなく、設定としてある空間を上手に使うことで映画のドラマツルギーを魅力的に展開できることは、これだけ映画を上手に演出できる監督ならば知悉したことであろう。しかし、ここでは映画の劇を展開するための恰好の材料であるラビリンスが、迷宮の魅力を発揮しないのだ。迷宮といってもそれは曲がりくねった回廊に過ぎず、そのためラビリンスに逃げ込む少女はすぐさま追っ手に捕まってしまう。世界に、子供が逃げ隠れできる場所はないのだ。そのことによって、少女はおとぎ話の中の子供のように余裕をもつことができない。おとぎ話の中の子供のように狡猾ともいえる知恵を働かすことができない。怪物や精霊を手玉にとるような駆け引きが出来ないのである。最後に少女オフェリアは牧神パンとの約束を駆け引きにすることもできず、現実の大人だけでなく、幻想の登場人物からも孤立する。子供の孤立に、映画を見る者たちは打ち砕かれる。私たちは打ち砕かれまま、映画は終わる。


ファンタジー映画隆盛の中の現在の映画産業の中、このギレルモ・デル・トロ監督はまるでテロリストのようだ、とまで思ってしまった。偽善的なファンタジーの構築物を破壊するために、自爆テロの使命をもった少女をハリウッド映画帝国へと送り込んだのだ……と、あまりに辛いラストだったので、私は思ったりしてしまったのだが。

スペイン市民戦争と地下王国としてのメキシコ

しかし、映画の中の子供の余裕のなさはいったいどこから来るのだろう。「子供たちの現在」がこのようなものであるという制作者たちの認識と、もうひとつスペイン市民戦争に対する認識がそうさせるのであろう。
スペイン市民戦争は、1936年に起きたフランコ将軍が率いるナショナリストの軍事反乱に対抗する様々な市民組織(アナルコ・サンジカリズムを志向する労働者たち、反スターリズムのマルクス主義統一労働党、国際義勇軍、そしてソ連に指導されたスペイン共産党など)が立ち上がることによって勃発した内戦である。市民組織の連合体である人民戦線の内部対立は激しく、バルセロナでは共産党と他の組織が軍事衝突を起こす。
(少女オフェリアの父親である仕立て職人は多分、人民戦線を闘って死亡した者として設定されているのであろう。私などドゥルティ軍団に入ってくれたらいいな、などと思ってしまいますが)
そして39年、フランコ側の勝利で終わる。「パンズ・ラビリンス」の時代設定は1944年だから、フランコ側は人民戦線の残党を抹殺するために徹底的な弾圧をしている時期である。そうした中、人民戦線の残党から多くの亡命者が出る。その時期、フランスはナチス・ドイツに制圧されていたから、すでに亡命していた者は大変な弾圧を受けていたので、映画の出てくるゲリラ側兵士が逃走する場所としてはフランスはすでに夢見る場所ではないはず。そこで浮かび上がってくるのが、メキシコである。実際、多くの亡命者たちが、人民戦線を国家として支援していた希有の国、メキシコへと逃げていった。


しっかり学んでいないのでうまくいえないのだけど、スペイン市民戦争は、まだ革命を夢見ることができた労働者が、錯綜する世界情勢の中で、疲弊し追いつめられていった戦争だ。この映画の子供の余裕のなさ、保護される空間、人間関係がない設定は、この戦争のあり方が影響を与えているように思える。スペイン市民戦争を闘った人民戦線の中には、少女オフェリアのように孤立し、市民の武装や友愛の問題などいくつかの試練に遭遇し、追いつめられ、そして地下王国への逃走を夢見るしかなかった少女オフェリアのようにメキシコを逃走先として想定した者もいたであろう。
そして興味深いのは、この映画の制作者たちがメキシコ人であるということだ。人民戦線が最終的に逃げ込もうと考えていた地下王国の住人たちなのである。単に夢見られる場所ではなく、そこには当然秩序があることを知っている者たち。映画「パンズ・ラビリンス」が過酷なのは、20世紀前半に存在した共和国労働者たちが、国際的ネットワークの中で実際に経験した残酷さのためであろう。
メキシコはそのような残酷な記憶が集積した国なのだろうか。本作品の「逃走する者への過酷さ」は突出しており、これは個人の資質によって選ばれたものではないように思えるのだ。


さて、21世紀である。今夜、地下世界のライオン男は若き女性弁護士と何を語りあっているのだろうか。それは決まっている。グアンタナモだ。


(写真は、映画鑑賞後、打ち砕かれて撮影した川崎チネチッタの闇。暗い。)
(ニューアフロ・スパニッシュジェネレーションの歌手、Buikaを聞きながら)

大阪へ行ってきた

hi-ro2007-10-20

ここ数日、大阪へ行ってきた。いくつかの用事をするため、書店、ギャラリー、カフェなどにいった。大阪の書店を見ながらいくつか感じたことがあります。その一つに、ヤン・シュヴァンクマイエルは確実にマイナーから一歩踏み出していったということ。彼専用の棚をこしらえているところがいくつもあった。
やはり、シュルレアリスムや(たとえば西区新町のギャラリー、アンヅがシリーズでやっている)アール・ブリュットは大阪の街にとても似合う。